税理士に対する損害賠償事例の研究 (相続税1)
97.1.16作成

相続税納税猶予の要件を相続人である納税者へ、十分な説明を行なわなかったことにより損害賠償を受けた事例

【事例】税理士Yは、相続人Xから、農業を営んでいた被相続人甲の相続に係る税務代理及び税務書類の作成(納税猶予の適用申請手続きを含む)等の委任を受けた。Yは、相続税の申告期限内に相続人間で遺産分割協議がまとまらなかったことから、相続税申告期限内に相続財産未分割のまま申告手続きを行った。もちろん、本件納税猶予の適用申請は、申告期限までに分割が確定していなかったため行っていない。その後Yは、Xから、仮に相続財産すべての分割協議が整わない場合でも、納税猶予申請予定地である農地の部分だけの一部分割協議書が作成されれば、納税猶予の適用が受けられることを説明されていれば、分割できたのであるから、一部分割により納税猶予を受けることができたとして、納税猶予を受けることのできなかったがことにより、納税猶予相当額1千万円もの余分な相続税の納付を余儀なくされたとして、Yは、同額の損害賠償を請求された。

【問題点】

税理士は、相続税・贈与税や譲渡所得等のいわゆる資産税の申告を委任を受ける場合には、その扱う税額が高額になる場合が少なくない。このため、この様な申告等の委任を受けたを税理士は、多額の損害賠償金を請求される事例が多発しているので、特段の注意が必要であろう。
ここでの問題点として次の三点に大きく分けられる。
一つは、納税猶予の適用をする一部農地のみの分割で納税猶予の申請ができるのか。
一つは、受任を受けた税理士の説明義務の範囲はどこまでか。
いま一つは、税理士は、納税が猶予された税額相当額を納税者に与えたのか。

【解説】
1,相続税の納税猶予制度(措法70の6)

納税猶予制度とは、農業を営んでいた被相続人から相続または遺贈により農地等を取得した相続人が、引き続き農業を継続する場合に、これらの農地等の価額のうち農業投資価格を超える部分に対する相続税について、納税が猶予される制度で(措法70の6DE)、昭和50年に農業経営の細分化の防止と農業後継者の育成を税制面から助成する観点から、贈与税の納税猶予(措法70の4@)と共に創設された。
この制度では、一定の農地、採草放牧地または準農地を取得した相続人が農業経営を継続する場合、その農地等の価格のうち、農業投資価格を超える部分に対する相続税の納税を、一定の要件の下に猶予し、次の相続若しくは農業経営者に対する生前一括贈与があるまで、または納税猶予期限まで農業経営を継続した場合に猶予税額の納付を免除している。
納税猶予の特例の適用が受けられるる被相続人の要件には、@死亡の日まで特例農地等で農業を営んでいた個人(措令40の7@一)あるいは、A農地等について贈与税の納税猶予の適用を受ける贈与をした個人(措令40の7@二)の何れかに該当する必要があり、農業相続人の要件には、被相続人の相続人でかつ、次の何れかに該当することについて農業委員会の証明が必要とされている。
@相続税の申告期限までに相続又は遺贈により取得した農地等について農業経営を開始し、その後も引き続き農業経営を行うと認められる者(措令40の7A一)
A被相続人の死亡の日まで農地等についての贈与税の納税猶予の適用を受けている者で、被相続人の死亡の日前に経営移譲年金の支給を受けるため、その者の推定相続人の一人に対して贈与税の納税猶予の適用を受けている農地等の全部につき使用貸借による権利を設定して農業経営を移譲しており、贈与者である被相続人の死亡後も引き続きその推定相続人に農地等を使用させ、自らもその農業の従事者となる者(措令40の7A二)で、これら要件を満たしていることについて、農地等の所在地を管轄する農業委員会から証明書(「適格証明書」という)の発行が必要とされている。

また、この適用を受ける場合には、次の点にも注意しておかなければならない。
@相続税の申告書の提出期限までに納税猶予分の相続税の額等に相当する担保を提供しなければならない(措法70の6@、猶予通55、13)。
A納税猶予の適用を受けた農地等の全部を担保として提供した場合でも、相続税の納税猶予の適用を受けている特例農地等のうちに都市営農農地等が含まれている場合には、納税猶予期限中は、相続税の申告書の提出期限の翌日から起算して、毎3年を経過するごとの日までに、引き続き納税猶予の適用を受ける旨の届出書(「継続届出書」という)を納税地の所轄税務署長に提出しなければならない。
都市営農農地等を有する農業相続人については、3年毎の継続届出書は、厳格に適用される恐れがあり、申請時から十分注意しておかなければならない。
相続税の申告期限までに、納税猶予の適用を受ける農地等の全部又は一部が相続人等に分割されていない場合には、納税猶予の適用を受ける旨を記載することはできない(措法70の6C)。

2,事例の検討

一 判例の検討

本事例は、横浜地裁平成元年8月7日判決(判例時報1,334号214頁)に同旨の事例が公刊されているので、最初にこのケースを瞥見することとする。
横浜地裁の事件では、次の様に判断を示した。
a,税理士は、納税猶予の適用申請手続の税務代理を受任した場合、委任者に対し、納税猶予の適用申請を行うためには、申告期限までに共同相続人間で遺産分割協議書が作成されなければならないこと、仮にその作成ができなかったとしても、納税猶予の適用申請をする農地だけの一部遺産分割協議書が作成されなければならないことを説明すべき義務あるとした。
b,原告(相続人)が納税が猶予されたはずの金額をもって損害請求をしていることについては、仮に納税猶予の適用を受けたとしても、納税が猶予されるに留まり、免除されるわけではないのであるから現実の損害が発生したということにはならない。

この様に、裁判所は、税理士には説明義務が有るとしたが、当該事件の場合には、遺産分割協議が難行し、たとえ農地だけの分割を求めたとしても申告期限内に一部分割が成立したとは考えられないとした事実認定を行い原告の請求を棄却している。
筆者の知る限り、公開された裁判所の判断で、税理士に対する説明義務違反を認めたものはこれが始めてだと思われる。
専門家の契約責任構成として、高度注意義務と忠実義務から説明され、前者は、専門家に対する高度の専門的知識・技能を要求し、後者は、依頼者の利益のために高度、適切な裁量的判断がなされなければならないとされている(能見善久「専門家の責任(上)」専門家の民事責任(6)、NBL544号52頁)。そしてこの忠実義務を誠実に履行するための手続的保証として医療の場合にいわれる「インフォームド・コンセント」、「助言説明義務」や「情報開示義務」等が一般に挙げているが、その法的な位置づけについて学説でも決して明確にされているわけではない。
しかし、何れにしてもこの「助言説明義務」は、専門家責任を論ずる上では、一つの要素となり、損害賠償責任を問われることになるであろう。

二 問題点についての整理
イ、相続人間で遺産分割の紛争中に、一部農地のみの分割で納税猶予の申請は、前項、相続税の納税猶予制度及び横浜地裁の判断からもこれを認めている。これは、税理士業務においては一般的に認識されている事柄であろうと思われる。

ロ、税理士の説明義務の範囲については、専門家責任の範囲がますます広がる傾向にあること(拙稿「税理士の専門家責任」税研11巻66号62頁)、依頼者の利益に大きく影響する事項であることや一般的に高度な専門家として認識されているなど総合的に判断されなければならない。

ここで、明確にどこまでであると示すことはできないが、次の様な場合には、説明の範囲が広がり、又は変更されることに注意すべきである。
@法律が改正されたとき
A裁判所で新しい判断がなされたとき。
B新しい通達が、発遣されたとき
C情報メディアによりポピュラーなものとなったとき

ニ、裁判所は、納税猶予された税額相当額は、免除されるわけではないのであるから現実の損害が発生しないとした。しかし、納税がある期間猶予されることは、即時納付した場合よりも、少なくとり利息相当額の利得の発生は認められる。しかし、この利得相当額の損害を蒙るかというとそういうわけではない。何故ならば、相続税の納税猶予の場合には、猶予期間中の売買・転用等が制限される。損害額を認定する場合にはこれらの点の考慮も必要になろう。

【注意義務の範囲】

相続税の申告の委任を受ける場合に説明すべき事項について、次ぎにいくつかの項目を列挙しておく。もちろん、委任者の地域性や、特殊性によってその内容は変更・追加されなければならない。
@ 民法上の一般的規定と遺言書の有無について(民法1004など)
A 相続を放棄した場合の税務上の取扱いについて(民法938、相法3など)
B 生前贈与加算について(相法19)
C 配偶者の税額軽減について(相法19の2)
D 未成年者控除、障害者控除について(相法19の3,19の4)−相続人全員と面識のない場合には特に注意する。
E 相次相続控除について(相法20)
F 小規模宅地について(措法69の3)
G 農地の納税猶予について(措法70の6)
H 未分割の場合の取扱いについて(相法55)
I 被相続人の所得税の確定申告について(所法124)
J 事業の承継における所得税、消費税の取扱いについて(所法144,消法10など)
K納付の方法について(相法38,同法41)

なお、これら事項の説明を行った場合には、その旨を明確にするため文書で取り交わすことが望ましい。
相続税、贈与税や譲渡所得等のいわゆる資産税の申告では、その扱う金額が高額になることが少なくない。このため、このような申告等の委任を受けた税理士は、ひとたび債務不履行等により損害賠償を求められると、多額の損害金の請求を受けることになるので、一層の注意が必要であろう。

参考文献
国税庁資産税課長監修『農地の相続税・贈与税』(大蔵財務協会)

以上

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Last Updated: 27/MAY/1997